第37章 養魚税の収入

 毛利祥久氏所有の時の明治23年~25年までの3年間は3,700円の養魚税で請負人と契約したとは前記した通りで、当新田を譲り受けてからは、明治26年9月から31年に至る6年間を期限と定め養魚税金は、21,000圓となった。

 高くなった収税を以前と比較すると毛利氏の時は養魚税は1年につき1,230圓余に当るが、譲り受け後は、1年につき3,500圓に当り、ほぼ1対3の割合で高くなっている。

 なぜ、このような大きな差になるかを養魚請負者聞くと、堤防が堅牢な場合と薄弱な場合とでは利益と不利益に大きく分かれるとのこと。

 毛利氏の時は養魚税は安いが不幸にも再三破堤の被害に遭い養魚池は海水と連通したため請負者は非常な損耗を被むったが、譲り受け後は各堤防工事とも堅牢に築工されているので、以降は軽微な破損も発生なく、人々はいずれも安堵しており、納得して多額の養魚税を納めている。

 32年の春、第2期契約に際しては希望者が続出し競争の結果32年より37年に至る6年間を36,000圓と高額で契約した。

 しかし世間一般の物価が上がるのに伴い魚類の種類も増加し、最近は一部淡水の個所には鯉、その他川魚を飼育繁殖するようになり請負従業者の利潤は益々大きくなっている。