消防組織

 金之助は明治34年、新田内に「ぃ」「ろ」「」「に」の四組の消防組を設置して、各1台づつのポンプ を与え、また土工用具を準備して、水災・火災の予防に当らせた。

 その組分は、「い組」北 組、「ろ組」中・南組、「は組」五号、「に組」二回である。

神野新田の性質上、水災に対する防御は特に重要で、堤防の保護にたいしては万全の策を構じた。

 すなわち毎月1回ないし2回、新田内の 樋管を事務所員が精密調査するだけでは不充分であるので、35年には各樋管の所在地に倉庫を建設し、非常用資材 (延・繩・丸太・・砂利など)を蓄え、臨時の用に充てることとした。

 更に三十六年には、新田居住の17才以上30才未満の者で水火災予防組合を結成させ、樋管と堤防の被害については、号鐘の合図で現場に集合し、急の防御させることとし、毎年一回仮設演習を行った。

そしてこの演習は、大正年代から金之助の没後にかけて久しく行われないままに過してきたが、万一 に備えて、昭和5年に復活し、大々的な仮想演習を行った。