第30章 三策の実行(学校の新設)

 次に第2策に着手し、明治28年3月中、牟呂村に相談し尋常小学校を設立しようとしたが教育事業は村を治める上で非常に重大であり、またその他の関係上容易に計画が進まなかった。

 ようやく29年3月に村立神野尋常小学校として認可設立できて該校に関する全般の教育費を寄附し、同時に生徒の授業料を全免し、明治29年5月に開校し授業を開始することができた。

 しかし、居住民の多くは元より教育の必要性を理解してなく、恵まれた環境の学校を設けたにもかかわらず入学する者は非常に少なかった。

 この状況に困り改善の手段を一層進め、子弟に要する雑費の供給は通学生の精勤賞興、あるいは父兄の訓戒等、種々の方法を取り入れて与えた。

 そして、明治33年頃になると生徒数はようやく増加し学校に関する設備を完備するまでになった。

しかし、教育費の支払いは村治の関係上、組織として住民に対して不利益な場合が起こったため、不幸にも数年間頑張ったが、放棄し一時休校することになった。

 そして後日に村の政治の改善ができたら、なお一層の完全な教育機関を目指すことを考えて、遂に35年3月に休校した。

 住民の子弟は従来より牟呂村に存在していた小学校に通うことになり、村教育費用を補助するため、年に金百余圓の寄附をすることにした。