第24章 新田内工事の困難

 前章に記述したように地均らし、及び用悪水工事は耕作にとっては長期間にわたり大きく影響することなので充分調査した結果、田方1筆を1町2反歩と定め、すなわち60間の2方に3尺の道を築き、また他の方には用水路と悪水路の両堤防を道路(巾9尺又は6尺)に利用する。

 しかし広い砂漠のような土地のため、強風の時は土砂が吹起されて用悪水を埋めてしまうし、道路を吹き崩すため人夫も工事を中止することがあった。

 特に塩分除去の目的のため時々用水を流通する必要があったが、塩分が多い土質なので芝草の育成が充分でないため水路堤防、及び道路の砂が固定されず吹き飛ばされて破損した。

 また堤防内部に沿う汐除きの百数十町歩の広範囲にわたる該内法の先へ浪が打寄せ堤根を破壊されたので再三修築の末、法り先へ粗朶と杭を打立て二重に粘土を張ったことにより、その後は芝草が育成し充分な防障となった。

 また3~9堤防も同様に再築をしたことにより、ようやく破壊の難を免がれるようになったが、この工事は極めて困難であった。


第25章 堤防粘土築立及法先捨石

 当新田の各堤とも毛利氏の築いたものは高さ1丈8尺に過ぎないので強烈な暴風により波涛が崖を侵食するような激しい時は、常に堤防を超えて内部に浸潮する恐れがあるので、各堤とも全て以前のものより6尺を高め、都合2丈4尺とした。

 しかし人造石はその表面が極めて滑らかなので大手堤防では、ひっとすると衝濤として来る大波は人造石の表面を滑って堤上に昇ることを恐れて1丈8尺を1割半の勾配とし6尺を5分勾配とすることを服部に相談すると氏も大いに賛成をしたので直に実行した。

 以後、暴風の時に際し実地の検地をしたが浪は1割半の勾配まで昇れても、その上6尺5五分勾配の処に至ると回転し、次に寄せて来る涛と堤防から離れた6~7間の処で衝突し、その都度海水数丈の高さに飛騰し風力がこれを吹き付けて堤防を乱打する。

 その勢いがにわか雨よりも激しいので、数年後に堤防の馬踏を4尺5寸内にひかえ3尺の高上げをして2丈7尺の高堤防した。

 以来満潮の時でも上1丈8尺を余し、いささかの心配も無くなったが、これは大手堤防のみに限り、他は必要がないので2丈4尺に止めた。

 堤防維持については最も注意が必要なのは法り先が激波により破損させられるか否かである。

明治27年冬、西風が最も激烈な時に堤防の法り先にどのような変化がもたすかを検証したが多少波浪に掘り取られた痕跡あったので、堤防をより堅牢にする設計でこの心配を取り除くため各堤防の法り先に捨石を重ね積ね(巾5間以内、厚3尺以内)、砂利石をもってその間隙を充填する方法に行き着き、明治28年6月から作業に着手した。