第21章 木造樋門を人造石に改良せし理由

 当新田の樋門は毛利氏が築造の時は木造だったため潮虫のために腐蝕させられ3ヶ年内に口替と称した表口の34間程の取替修築が必要なのと、7ヶ年以内に総伏せ替えの必要があった。

 総伏せ替えの時は海面に月の輪と称して樋門の前面海中に仮の仕切りを造り海水を堰き止め、本堤防を掘割する時の代わりとするが、これが極めて危険な工事で、もし工事中に風雨や波涛が起るとただ一つの仮の仕切りであるため防御が最も困難である。

 また、このように度々堤防の掘割をしていては土砂が凝固する時が無く、脇詰より海水が吹貫く危険性ががあり、実際吹貫く事故も少なくない。

 また水落の利害に付いても樋門内に数十本の蛇柱があるが、激しく水流の勢いを妨げるため水落ちが十分ではない。

 特に木材が高価な時代であり木材では多額の費用になるので、人造石の樋門の場合なら、その仕様は表戸と裏戸の下には鰻止めと称して6尺四方を深く掘割りし、人造石で埋立てその上に敷物を張って築造する。

 また両腹には鍔と称して一方4尺づつ3ヶ所に人造石を土中に築出すれば敷物、又は脇詰めの吹貫ける心配は無く、左右の堤防法りも人造石で造れば堅牢無比なものとなる。

 また、裏戸は常に棒上に置き表戸に障害が出た場合でも、常に裏戸が防水の備えとなっている。

また、修繕としては3ヶ年毎にセメントにて人造石の目塗をするだけで良く、樋門内に障害物が無いため、木造の樋門の9尺よりは人造石の7尺樋門となるので水落も滑らかに流れるので23ヶ所の樋門、及び牟呂用水の樋門工事は、ことごとく全てを人造石に改良した。

 当時の愛知県庁においては、その成績について十分調査をした結果、非常に良好なことを認め県下にある樋門の伏せ替を必要とする場所はことごとく人造石で改築した。

 また、各県からも実査のために視察に来る者も多かった。