第19章 防囲工事及人造石工事
大手堤防の3ヶ所の澪留は実に思いもよらないほど好成績であったため、成功に安心し知らず知らずに怠慢するのはありがちなので、なお一層監督を厳しくして速く完成するように準備して、陸上においては土砂の持上げ、海面においては幾千艘の船舶が築堤材料を輸送してきた。
熱心に作業に励み明治26年11月に至って満潮の時において上2間を余すまでに築堤し囲い込むことができた。
11月は例年なら暴風が吹荒れる時期のため到底工事を施行できないと
以前より心配していたが、以外にも風力は和で海波もかなり平静だったため防囲工事も故障なく施設することができた。
しかし冬から春に向い風波険悪の時期になり、第4号堤防の諸工事をするのは難しくなったので一先ず見合せ、第3号堤防の人造石工事に着手し、旧堤防が残存する部分の修築は外面を人造石にて修築する。
第20章 第三号及第四号堤防樋門工事
第3号堤防の人造石工事に着手すると同時に同堤防にある5号樋門の工事にも着手した。
この樋門は第3号堤防の西端にあって総数5ヶ所の内、3ヶ所は幅9尺で左右の2ヶ所は幅6尺5寸で、中央のものを船通用とするこの工事は翌27年3月に至って無事竣工した。
この樋門より西の第4号堤防の南端に達する堤防の延長は15間とする。
以後、引き続き第4号堤防の樋門工事に着手したが、この樋門は豊橋附近の南にある1ヶ所の排水の流調整門は幅6尺5寸で樋門上流の南北に同幅の内、流調整門が各1ヶ所あって延長1里余に至る大手堤防の中央であった。
そのため船舶運送が容易になるよう樋門の門頭を海面に接するまでを扇形にして次第に広げその扇形の内部に船囲い、荷物揚げ場、並に色々な物品の倉庫を新設して海運上不都合が無いようにした。
また、33年になって第5号堤防の北端に樋門を設置したが、これは海上より肥料を運搬する船舶が航通とするためである。
下に当新田の各堤防の樋門総数22ヶ所と内杁2ヶ所の内訳を記載する。
第 一 号 用 水 捨 杁 壱
同 六 尺 五 寸 船 通 壱
第 二 号 九 尺 船 通 壱
第 三 号 二 間 旧 杁 壱
同 六尺五寸、九尺、九尺
九尺、六尺五寸 通船 五
第 四 号 九尺、九尺、九尺
九尺、六尺五寸 通船 五
同 北六尺五寸、六尺五寸
南六尺五寸、 参
同 内 杁 六尺五寸、六尺五寸 弐
第 五 号 七尺五寸 通船 壱
桝 形 六尺五寸、六尺五寸
六尺五寸 参
同 南 六尺五寸 通船 壱
上記は全て人造石にて築成した。