第11章 築堤に関する諸説(甲の説)

 新田堤防の築工方法については議論が紛糾したが、争点の主なポイントは次の通り。  

 

 (甲の説は)・・・開拓面積縮小派

   旧堤防は大手長が長過ぎて到底永く維持できるとは考えられないのと、土地が広く堤防に進むにした

  がって地面が低下しており、そこに溜まり水が常に残っていて良い田にはなり得ない。

   区域を縮小し、第三号堤防の延長1,230間の内、その西端の150間を切り捨て、第四号堤防の位置を移

  して、第三号の一端より、東北明治新田の八間川の川先に達するように築堤して第五号堤防を放棄する

  べきだ。

   毛利の時と同じように築堤すれば、豊橋以下の悪水を排水するためには、桶門5ヶ所、また第五号堤防

  にも桶門2ヶ所が必要になり、かかる費用も少なくない。

   前述のように反別を減縮して築堤すれば、大手の方向に於いて、西風を避けられ堤防も強固となり、永

  遠に維持もでき全て良い田のみとなり、非常に好都合である。

   かつ人造石による堤防工事は決して永遠に維持はできず、直ちに亀裂が入ったり、激しい波により崩壊

  されるか、寒気により凍損して遂には粉砕するであろう。

   現実として、横浜港は熟練した内外の技師により設計したのにもかかわらず、今や亀裂が発生して世間

  の非難を受けているのに、服部長七が発明したという人造石は効果が望めるのか?

   今まで人造石で筑成した西三河の高浜村の新田の堤防は、築工後に早々と亀裂で崩壊し、今やその外法

  に土と石にて押さえてようやく維持している状況であることから、人造石の信ぴょう性は無い。

   今回の工事となると高さ一丈八尺、外法り四割五分、内法り一割五分、馬踏二間半、捲石一尺五寸、二

  重粘土張りによって築堤するという大工事であり、人造石では無理である。

 

  牟呂村の住民は以前より大手堤防が正西に面して築かれているために、たびたび危険に会うことは覚悟をしていたが、堤防設計が非常に無理であると非難していた折でもあり、大いに甲の説に賛成した。

 また、毛利の設計にも携わり、最も有名な技師の一人であった岩本賞寿氏は反別縮小説には大いに反対し、原形のまま築堤すべきと主張したが、人造石の工事の一点に関しては甲の説に賛成した。

 理由として、愛媛県三津浜の人造石工事の視察をして、ある点に於いて不完全を見つけたとを上げた。

しかし、人造石で完全無欠に築港された広島県宇品港等を参考にしようともしなかった。

 また、愛知県庁や渥美郡役所等は全面的に甲の説に賛成し、県下の諸新聞も甲の説に賛成するものが多かった。

 そして、反対の意見に対して甲の説で反論した。