・鐘楼は今の財務顧問の神野金之助の両親が寄贈の説明書きがある(ジンノ、かみののルビは無い)
・神野新之助重行には石垣は金平夫婦、上物は神野金之助の寄付と書かれている
・明治28年の第四回内国に出品され鐘楼のひな形が展示されたが、ひな形が圓龍寺に有るものと推測
「ジンノ」と「カミノ」の改姓時期が明治39年~41年の説が、根本から覆る
・下の資料内に、昨26年・・・本年(27年)文章でも、「カミノ」とあったと書かれている
・最下段の資料から、明治35年発行のこの書籍で「カミノ」とある
・明治28年に「ジンノ」さんが作った新田だから「ジンノ新田」と命名された
▶ 明治35年6月時点で神野の読みが間違え辛いを裏付ける資料
・下の画像は神野金之助重行り 328 ページの記事で、初代金之助は明治24年頃から東本願寺の
財務改善に尽力し、その功労で明治34年に東本願寺から表彰を受けたとある
・明治27年(1894)11月20日、初代金之助は東本願寺本山講頭になる
・そんな中、表彰された明治34年の翌年発行の東本願寺の書籍で間違えられないでしょう