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・明治35年に300間延々の負債場発覚し、井上馨、藤田伝三郎が救済計画を立てるもうまくいかず
・藤田組の山田龍を出納主任とし、5月に臨時財務整理委員会が開催され、神野金之助ら11人、関係者で
対応を検討した
・藤田伝三郎が藤田組のオーナーで、藤田組が児島干拓地工事を始め、後に1区と2区を藤田農場とし
農業経営をした。
・初代神野金之助は藤田伝三郎と面識があったと推察される
昭和9年、世外井上公伝. 第五卷 より