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三代重助重慶に高く評価された浅野甚七は、1839年(天保10) 5月12日に、美濃中島郡舟橋村の農民甚左衛門の長男として生まれ、12歳のころから紅葉屋に奉公にあがり、紅葉屋を譲られる1876 年(明治9)まで27、8年間、鹿助および重政のもとで勤めあげた。
重政より2歳年下であったが、重政が横浜 から留守宅に出した書簡に、「御父上様・甚七殿」と並列の宛名書きされているものがあるところからも、甚七は重政にとって最も信頼できる奉公人であり、重政の代役を果たす者でもあった。
大正4年、人事興信録. 4版 より