第31章 信用組合の設立

 産業組合の一つである信用組合の設立については、その起源は数年前からで農民移住の当初より既に必要を感じていた。

 貧しい人民に貯蓄をさせるのは、一定の規則で束縛し、生活に必要以外の方法で得たお金を蓄積させる以外の方法は無いと思い、明治31年中、組合の方針を立案した。

 組合は神野新田信用組合と称し、農民が一日の業務を終った後、夜業として一把の縄、又は一足のワラジを作らせて、1ヶ月の末にこれを購求して、

その半額、または1部の一定限度以上の金額を貯蓄するようにした。

 しかし往々に怠ける者がその規則に背いて活動が実行困難なり、一時は活動が大に衰退したこともあるが、あらゆる手段で諭してわずかに持続してきた。

 その後の明治34年に産業組合の発布があり、その規則が当組合の組織に適合するかを全組合員で討議し、35年の春に出願の上、無限責任神野新田信用組合として許可を得て、同年7月23日に設立登記をした。