第29章 住民統理の三策

 当新田も毛利氏所有の当時から再三の堤防の破壊があったため、小作人が恐怖を抱いて、その農事を営む気力を失い世間の風評も良くないため、他の地に移住して行く者が多いだろうと心配していた。

 しかし、人造石工事の堅牢と内部工事の設計の良さが知れ渡り、非常に高評価得たことにより世評が一変し、仲間と誘い合って移住してきて小作人になる者が追々増加し、戸数250余、人口はおおよそ1,380余名となった。

 これらの人は概ね伊勢、美濃、尾張、及び三河各郡等より移住しに

来た者で、要するに各自は郷里において希望も無く落胆、失望、困窮で転籍移住してきた者が多い。

 一部には、以前住んでいた所で信用を失って住めなくなり、しかたなく当地に漂着して来た者など、しょせん浮雲の徒の集団と言われ、気に触ることが有ると乱暴したり、喧嘩等で相手に害をおよぼすことも少なくなかった。

 このような乱暴で荒っぽい者に退去を命ずると益々悪化し、犯罪者になってしまうと、その家族を飢えさせ苦しませるの見るのは人情として耐えがたい。

 そのため、これら社会の徳義を教え無知蒙昧の者を教育して、住民の平和を図ることにより良民にするためには、必らず宗教と教育の2つをもって統率しようと考えた。

 その具体策は次である。


 第一、神社を新設し我瑞穂国の皇祖大神を奉祀して皇統からの連綿たる君主を崇敬し、併せて報国盡忠の

    念を起させる事

 第二、学校を新設し学芸を奨励し学齢に達した児童を全員就学させることと、教員より道理にうとい農民

    のために戸籍やその他に関する願い届や伺い届等を仲立ちしたり、衛生上の注意を説くなど

 第三、寺院を建立し、高徳の僧に住職をお願いをし、日となく夜となく農民の寸暇を計り、一堂に会して

    応報因果の道理を説き、善悪正邪の分別を教え、なお国法徳義がどのようにものか、また地主と小

    作人の権利義務等を説き老若男女に道理を理解させる。


  以上の3条を実行することにより新田の居住民を統率すれば、次第に風紀が守られるようになり、遂には社会に誇れる良民にする。 この方策の3件をもって当新田住民の意識改革の大方針と定めた。