第28章 名称改正及字割

 当新田は以前毛利氏が築工の頃は吉田新田と呼ばれていたが、都合上、神野新田と改める必要があると牟呂村は明治28年6月14日、大崎村は同月21日、磯邊村は同月22日をもって各村会を開き、多数の賛同を得て名称改正の件を可決した。

 このことを受け各村より直ちにその筋に出願し、総てが認可され、以後は吉田新田の名をやめて、神野新田と呼ぶことになった。

 又、当新田は総面積1千100町歩と広大であるため、一般的に考えれば 少なくとも管理上は数十区に分割する必要があるので、多くの人の意見をふまえて次のように区分した。

 

  牟呂村所轄  いろは48文字をもって48字に区割りする、外に字会所前

  磯部村所轄  宮前、品井潟、中道東、水神下、中洲、江縁の6字に区割り

  大崎村所轄  沖ノ島、中ノ島の2字に区割り