第23章 新田内工事の設計

 明治26年10月、新田内の用水路新開のことに関しては種々の説があったが、結局他の諸新田を実地視察調査の上、その利害、及び便不便の研究が必要と考え、著名な各新田の巡視をして大に参考となった。

 そして自ら用水配置の指揮をし同年11月より該工事に着手した。

新田内部の地均らしや穴埋め等は相当な日時を要する作業だが、冬季は強風が多いため土砂が飛散して大に作業が妨害される等で、27年6月の田方植付け時期の前で、やっと地均らしが完成したのは300町歩程であった。

 同年11月になり、田圃の区分と再度の地均らしに着手し、数百人の人夫を使用し、ひたすら工事の進行を計ったが、区域がすごく広いため容易な作業ではなかった。

 中でも新田内の大用水東手である第6号より第9号用水までの10余町歩、及び西手70余町歩の地均らし工事に併せ古川通りの埋立工事は人力だけでは捗らないので機械力を借りるべきだとの説が起きた。

 協議の末、端西軌道数マイル、及び木製軌道等を購求し、人夫数百名を使役し、7ヶ所に分けて作業し地盤の低い所には、地盤の高い所を削った土を移し地盤を高くする等力を尽して完成を急いだ。

 しかし、何しろ土地が広すぎて作業は容易では無く、この工事途中の明治27年6月に至り、植付の時期が迫ったので、同年度の工事は一先ず中断し、直ちに田方植付に着手することになった。