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家憲第七  重誼守身

 『家憲第六』は、みだりに金銭を貸してはならない。

他人の保証をしてはいけない、これは友誼を重くし、また自らを守る意思を表明したものである。

 金銭の貸借から、ひいては旧交を破ることに至ることは、世間では往々にあるので、例え一時の仲たがいをしようが、永久の友誼を失うよりも良い。

 また氏が他人の保証するなとの教えは、自己の境遇上で失敗しているが、それは他人の保証に立ち、大いに面倒なことに巻き込まれたことがあった。

 加えて現在は、数多の銀行や会社に関係しており、一度でも保証人を売れ入れれば、毎夜門をたたいて、憐れみを申し立てるものが後を絶たなくなる。

 保証人を頼まず頑張っている者より、簡単に保証人を頼みに来る者を優遇するのは、君子の行いではないので、断然に家憲の趣旨を実行せよということである。


当代の経歴概観

 氏の事業と性格は、以上述べる所が要点であるが、反面氏の公の障害をうかがえば、明治三七、八年、貴族議員に挙げられて、勲四等を賜り、同年国債募集委員長として、大いに全力を尽くした。

 その他、名古屋銀行、参宮鉄道会社の創立に尽くし、現に明治銀行の頭取、農工銀行、商業銀行、商工会議所等の重役で、豪快で肝が座り、些細な事にはこだわらず、意思は極めて強固である。

 氏はまた深く仏教に帰依し、東本願寺の鐘楼は、氏一人の寄付によって建てられたと聞く。

氏は中興の業を大成して、神野家の名を世に輝かせ、自らが模範を示して子孫の祝福を願う、現代の偉人と言うべし。