郷土見学の栞(神野新田附近の養鰻業)

 豊橋附近一帯の養鰻業は浜名湖附近に次いで我国第二の養鰻地帯を成しているが、この附近では神野新田一帯が中心である。

 このように養鰻業が盛大になったわけは 

  1 三河湾殊に豊川の流れ込む様な所等はシラス鰻(稚鰻)の生育條件に

   適する。

  2 養鰻地に導く地下水が豊富。

  3 蛹(サナキ゛)鰯等の飼料が容易に得られる等のためである。


 その上、その位置が東西大都市の中間にあり、交通至便なことは豊橋市産業の発達の全て共通する條件と云っても過言ではない。

 蛹は製糸工場より、鰯は表浜より容易に、かつ豊富に得られることは直ちに納得できる。

鰻は大体において大阪人の好む太口の鰻が多いので主としてこの方面に移出される。

 その他は量は大して多くはないが東京方面にも移出される。

この地方の養鰻業の始めは約30年前頃からで、現在神野新田の養鰻業者の中には浜名湖畔から移住されて来た人が多い。


引用元

 タイトル     郷土見学の栞             神野新田に関する記事  18~20頁

 著者       豊橋市立高等女学校校友会        『神野新田』

 出版者      豊橋市立高等女学校校友会       書籍へのリンク

 出版年月日    昭和12(1937年)            http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1027910/19