黒川治愿(くろかわよしはる)

 ・初代金之助と「黒川治愿」は左に有るよう親交があった(左は神野金之助重行の83と89ページ)

 ・八名郡の三村がたびたび牟呂用水を上流で水を堰き止めるので、神野新田紀事には今後の用水に付いて

  黒川某氏」に相談とあり、ルートを変更して豊橋の近くの豊川から取り込むのを提案を受ける

 ・八名郡の三村はルート変更は用水が無くなるので折れたため、神野金助は元のルートで工事を決定

 ・「黒川某氏」は「黒川治愿」氏と考えられ、以下に有るよう用水関係の第一人者であった 

 ・黒川は愛知県庁の土木課長を務め明治18年に退官、岩本賞壽が後任課長になったと考えられる


神野金之助重行 より



神野新田紀事の翻訳版 より






▶ 神富殖産とのやり取り

 ・初代金之助が用水のプロとして信頼していた

 ・菱池や牟呂用水で活躍